海外生活 15年生のわたし
- 2020.04.29
- 体験談
私は現在海外生活15年目になります。
15年前、大学を3月に卒業し4月に海外へ出てからずっと海外生活です。
親は離婚していて複雑な事情から、親や親族らには”日本に居場所が見つけられなくて日本を離れたのではないか、可哀想に“と言われているみたいです😅
実のところはというと
私は高校生の時に行ったフィリピンでのボランティア活動を機に海外に興味を持ちました。
貧富の差が激しいフィリピン(スワル・バギオ・ダグーパン)での体験は深く深く胸に刺さる程の何事にも変えがたいものでした。
帰国後のいつもの日本は別世界にみえたし「なんでこんなところにいるんだろう?」と恵まれた何不自由ない清潔な家の清潔な部屋が檻にさえ感じられ、無力感から何もする気が起きずただただ天井を仰ぎ涙する日が続きました。
今でもフィリピンでの事を思い出すと胸が痛みます。
特別何か辛いことがあったわけではないんです
ただただ、滞在期間の8日間の日々全てのひとコマひとコマが結果的に私をそういう気持ちにさせました。
大学もそっちの道へ進みました
が、現実は厳しく私自身も自己中心的でいつしか海外支援への道は選択肢から消えました。
その話はまたの機会に掘り下げます。
大学進学にあたり、私はすでに海外に出たかったので大学も海外の大学を希望しました。
が、親と先生に猛反対を受けました。よくわかりませんが、海外の大学進学は良くないらしいです??
大卒資格がどうのとか、根本的に授業についていけず退学する人が多い??とか理由は忘れました。
海外に飛び出さん勢いだった私ですが、昔から子供には大学を卒業して欲しい母。
担任の先生にも学校長推薦のいい話があるからと推していただき日本の四年制大学に入りました。
大学入学時は正直「4年も海外に出るの我慢しなきゃいけないのか…….」という気持ちでいっぱいでした。
でも今思えは大学卒業しておいて本当に良かったのです。なんだかんだ学歴はあったほうが今も色々な場面で助かっています。
大学に執着のなかった私に大学を薦めてくれたことや払ってくれた学費も含め親には本当に感謝しています。
在学中の私は一度だけ春休みを利用して1か月ニュージーランドへ語学留学しました。
オークランドだったのですが本当に素敵な場所でした。ニュージーランドは今でも大好きな国です。
短期間でしたが学ぶことはたくさんありました!1ヶ月でも本当に行って良かったです!
そして大学を卒業後、満を持して海外へ出ました。
大学卒業したのに就職活動もせずただただ海外に出ることを決めたんです
親はよく許したなと今考えるとほんっとにそう思います。
最初は語学留学するつもりだったのですがかなり危なっかしい感じになっていた私に別居していた父が持ちかけたのは海外インターンでした。
プログラム的には海外の教育機関(幼稚園〜大学)で日本の授業をする外国人講師をしようというものでした。
その方向に話が進み語学留学とはならず、海外で仕事をする事になったのです。
派遣されたのはニューヨーク州某所。
そこで1年間、未就学児〜小学生に日本文化の授業やアクティビティなどを教えていました。
1年後、もっと海外にいたいなと思った私は今度こそ学生ビザに切り替え学生として今度はマンハッタン周辺に住みました。
程なくして今の夫に出会い付き合いをはじめ4年後に渡欧、スイスのサンモリッツで入籍し現在に至ります。
最終的にアメリカには5年住んでいたことになります
ニューヨークにいた頃はこんな日がずっと続くと思っていたし、完全にホームと化し我が物顔で過ごしていました。現実は厳しいですね。今でもできることならアメリカに住みたいです。
まず英語が通じるって最高ですもん😂
スイスの中でも2度引っ越しをしました。ドイツ語圏から現在はイタリア語圏。
そして今に至ります。
不便なことも多い海外生活ですが私はその不便が割と好きです。常に脳トレみたいで。
海外に出たい方は多いと思うので何か知りたいことがあったらいつでもリクエスト下さい
また、TwitterやInstagramにもいるので是非お気軽に「ブログ見たよ!」と来てくださいね。相互します✨
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